2011年4月
日書きましたように
ホワイトベッセル・ユキチャンに似た馬
「被災馬・ドリームホワイト」。
この子は、津波にのみ込まれたあと、
瓦礫の山と化した被災地を
3週間も、彷徨い歩いたそうです。
まるで、海を漂っていた「漂流犬」のように・・。
その3週間、何を食べていたのか? 何を飲んでいたのか?
厩務員の方々も、みなさん亡くなられ・・
ようやく、関係者に発見されたときには・・
身体のあちこちは傷だらけ、
蹄はぼろぼろ、
蹄鉄はすべて外れていました。
想像ができないくらいの辛い、怖い・・体験をしたに違いありません。
ようやく、写真を撮って来ました。
ホワイトベッセル・ユキチャンにも似てますが、
本当に「白梅」が帰ってきたかのように
「うめちゃん」にも似ています。
白梅が虹の橋を渡った次の日に、
倶楽部に来たこの子「ドリームホワイト」。
もしかしたら、自分の魂と白梅の魂が、
この子の身体に2つ入っているのかもしれません。
このドリームホワイトは今は「ゆめちゃん」
と呼ばれ、み~んなに可愛がられています。
とっても人懐っこいいい子です。
しかし・・「うめちゃん」とあだ名まで似ているなぁ。。
画像を見比べてみてください! いかがですか?
私とのツーショットが「うめちゃん」です。
この「ゆめちゃん」
「うめちゃん」と大きく違うのは、
甘いものが苦手。
バナナも氷砂糖も食べません。
ニンジンを目の前に出すと
物凄く前かきをして
「ちょうだい~」とアピールしますが、
バナナを目の前に出すと
「いらない」と。
本当に、本当に、生きていてくれてよかった!
これからは、この倶楽部で
いつまでも長く幸せに暮らすんだよ!ゆめちゃん!
2011年4月14日 11:06 AM|
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倶楽部に、震災で被災した「被災馬」がやってきた。
その子の名前は「ドリームホワイト」14歳。
14歳、私が、うめちゃんと初めて会ったのも
それくらいの歳だった。
まるで、天国に旅立った「白梅」の代わりに来てくれたような気がした。
その「ドリームホワイト」だが、
身体のあちこちには、
震災のときにおった
傷痕が残っていた・・・。
私は、その子に向かって
「ドリちゃん」と呼んだ。
するとその子は、被災したことを感じさせないくらい
元気に前かきをしてみせた。
ときには、扉を「どか~ん」と蹴ってアピール。
いつもの癖で、白梅用にたくさんのおやつを持っていってしまったのもあり、
白梅用のおやつを全部、その子にあげた。
喜んで、ニンジンを食べる。
しかし、食べ方が、白梅とは違い、かなり不器用。
厩舎が狭いこともあり、
へっぴり腰になってから
頸をひょ~とのばす。
そして、歯をむき出して食べる。
ちょっとこっけい!?
しかし、体の傷跡を見ながら
色々と辛いことがあったんだろうな・・と想像した。
震災の中、サクを飛び越えて逃げたのか?
必死で走ったのか?
どうにか生き延びたこの子に話しかけていると、
自然と大粒の涙が流れ出した。
うむ。。。
画像がないので、
イメージとしては、
「ホワイトベッセル」(引退して誘導馬に)とか「ユキチャン」に
ちょっとポニーをプラスしたような感じで、
とっても、可愛い顔をしている。
画像は、「ドリームホワイト」ではなく、
「ホワイトベッセル」と「ユキチャン」。
しかし・・・・白馬(葦毛)ということもあり、
どうしても
天国へと旅立ったばかりの
「うめちゃん」と重なってしまう・・。
下の私と馬との
ツーショット画像は、
もちろん、「うめちゃん」。
2011年4月11日 7:13 PM|
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原発により、
人がほとんどいなくなった福島の被災地。
そこには、牛の群れ、犬の群れ、
そして、一人寂しく歩く犬や猫たちがいっぱいいます。
この子たちは、どうしてしまうのでしょうか。
食べ物がなくなり、飲み物がなくなり・・
死を待つばかりなのでしょうか。
もしくは、生き延びて野生化してしまうのでしょうか。
いずれにしても、放射能を浴び続けていることは間違いありません。
野良犬となった子はみんな首輪をしてます。
人が近付くと、親しげに近付いてきます。
「まて」というと
ちゃんと「まて」ができます。
どうにかして、この子たちを助けられないものでしょうか・・。
2011年4月10日 7:52 PM|
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この数日間、
こんなに涙って出るものなのか?
人間の体の、
どこに、こんなに涙があるのか?
そう思うくらい
泣きはらした。
ベッドで、ポポをダッコしていると、
ポポの頭や背中は
私の涙で、びっちょりだ。
誇り高き馬「白梅」。
私の去年のブログを見ていただくとわかるように、
大好きだった「春霞」が引退してからは、
自分の馬かと思ってしまうくらい
毎回、「白梅」という馬に乗るようになった。
この子は、ものすごく安心感がある子で、
性格は、今まで乗った馬の中で一番いい子。(私的に)
いきたいところにいってくれる素直な子。
けっして変なこともしないし、暴れることなんてない。
そんな子ということもあり、この「白梅」のファンはとっても多かった。
去年の夏、
私が怪我をして、
年末に、
乗馬に復帰してからも
ずっと「白梅」だった。
しかし、年明け、
白梅は肢の具合が悪くなり、
ずっと休馬をするようになった。
そんな白梅のもとに、
レッスン後には必ず立ち寄り、
持っていったおやつの1/3をあげていた。
1/3は乗った子、残りの1/3は色んな子という配分。
最近では、騎乗前にも
白梅のところに寄るようになっていた。
というのは、馬の乗る場所にいくには、
白梅の前を必ず通過する。
そうすると、私の顔を見ると必ず
「ぶひひひ~ん」
と鳴いて呼ぶからだ。
もちろん、騎乗後には、
大好きなバナナ、お砂糖、
にんじんをいっぱい持っていくので
「ぶひひひ~ん」「ぶひひひ~ん」
と何度も何度も鳴いてくる。
私のほうにオシリを見せているときには
「う~め~ちゃん」
と呼ぶと、こらちをゆっくりと向き
「ぶひひひ~ん」と返事をする。
そんな、うめちゃんはもういない。
4月4日永眠。
肢の調子が、だいぶよくなったこともあり?
倶楽部がお休みの日に、
馬場で走らせてあげていたそう。
そんなときに、悲劇は起きた。
肢の複雑骨折。
何人もの獣医さんが診断。
「年齢も年齢だし、
過酷な治療生活をさせるよりかは・・・」
たしか、白梅は、20歳前後だと。
通常ならば、あと少しで乗馬としては引退の歳だ。
白梅・・・
白梅の最期は
「ぼくはへいき」
「まだできる」
「まだできるよ」
「ぼくはへいきだから」
みんなに囲まれて、
大好物のおやつ、バナナ、リンゴ、すいか・・・
特別な食べ物をあげても、決して口にしなかった。
いつも与えられているエサだけを食べて
「ほら、ぼくはへいきでしょ」
と・・。
これが、白梅の最後のプライドだった。
誇り高き馬「白梅」は、
天国へと静かに旅立っていった。
梅の季節が終わり、満開の桜に見守られるように・・。
地震が起きてから、
本当に、辛いニュースばかりが届く。
福島の牧場にいた引退馬たちも、
みんな流されてしまった。
私が乗っていた子たちもみんな・・・。
白梅を自馬のように乗る前は、
私は春霞にばかり乗っていた。
下の画像の子。
いつも「は~る~ちゃん」と呼んでいた
大好きだった「春霞」も、
津波に飲み込まれたと聞いた。
大好きな大好きな子を
この一ヶ月で、二人も失った。
2011年4月10日 4:23 PM|
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不思議と涙があふれてきてしまいました。
http://www.youtube.com/watch?v=ycRxtWHXOFA
最近、わたしは・・・
去年の夏、怪我をして、
松葉杖生活を送っていたときのことを思い出します。
このときには、
電車に乗っても、バスに乗っても
誰一人として若者は席を譲ってくれようとせず、
優先席の前に立っても、無視をされてしまう
そんな、思いやりの心を失った人たちが多いことを実感しました。
「この先、日本はどうなってしまうんだろう・・・・・」
今とは、違う意味で、物凄い不安を感じたのでした。
しかし、今回の震災により、
日本人が日本人の心を取り戻したのを感じます。
つい数ヶ月前までの人間の意識と
今の人間の意識が、確実に変わったと感じます。
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ほつれかけていた人間と人間との絆がしっかりと繋がったのです。
消えかけていた日本人としての誇りがよみがえったのです。
こんがらがっていた世界の糸が日本へ向けて一つになったのです。
今の若者も、ひと世代前の若者も、その何世代前の若者も
心を一つにして、被災地の、そして日本の復興へと向かって動いているのです。
私は今、そう感じます。
2011年4月8日 11:33 AM|
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